我が人生の生き神様である、「戦後日本の負け組」の皆さん!我が最愛のCNN及び我が師とこよなく崇拝するBBCの皆さん!お元気きですか?寒さが日増しに厳しくなって行く1、2月に備えて呉れ呉れも健康に留意してお互いに頑張りたいですね!
さて、日本がアジアの仲間と競い合った、アジア大会は終わり、目下年末年始の休暇に入った時宜ですので、今回は常日頃の英語ブログではなくて、気軽に日本語で作成することにしました。
愛知「三河藩」と東京「武蔵」は、切っても切れない親戚関係。
オリンピック候補地に立候補した一部の東京人の勇み足を憂う
まず最初に、JOCは、石原東京都政をバックにして早々と2016年オリンピック開催候補地へ名乗りを表明したが、国内事情が多くの面で整っていないことは、客観的に鑑みても明白である。この国内事情の脆弱を露呈したのが、先のアジア大会の我が国代表の不甲斐なさであった。念願のアジアの覇者への実現は今回もまた夢に終わった。勿論我が国の長年の目標は、12億の民がいる中国を凌駕することでは決して、総人口が4500万の韓国を凌駕することである。関係当事者の予想、期待を遥かに下回る成績であった。獲得した金メダル数が、総人口が半数以下の韓国が、58であったのに対して、日本は50に留まったお粗末さである。新安倍内閣が拉致事件で強く矛先を向け続けている、北朝鮮が、僅か総人口が2000万人であるにも関わらずに、遥かに我々日本人の予想を越えた好成績を上げた点ばかりか、南北朝鮮が一体となれば、総メダル数が如実に物語るように、我が国を遥かに上回るであろうと言う全く称賛に値する好成績を上げた事実である。日本の比肩する範疇でない注目に値する快挙さであった点である。
スポーツの国際大会でのメデル数は、ずばり参加国の国力そのもである。学業とスポーツは完全に何時の時代も一体となっている。
オリンピックでメダル数が毎回トップクラス群に連ねるアメリカアやロシヤやドイツは、スポーツは秀でているが知力即ち学力は劣等であると言うのか?
同じ立場の枢軸国であるが、他の二国であるドイツ、イタリヤは半世紀以上前に既にとっくの昔に国内がまとまっているが、ただ一国我が国だけが未だバラバラである。国内情勢がまとまらない状態では、たとえスポーツの大会であるにせよ、どうして対国際的舞台、対国競争事項に勝つことができようか?小学生でもわかる。
我々の最近の祖先は、我々の遠い祖先の中国にある諺に因んで、我々の住む時代を(平成)と熟慮の上名付けた。この意とするものは、(内平等になりて、外に功を成すこと得る)である。終戦直後にGHQが暫定的に定めた教育制度を紋切り型に未だに踏襲し続けている我が国内実情で、どうしてアジアの他諸国から信頼されモデル国として、それら諸国を牽引する名誉ある国際的な地位を得ることが出来ようか。出来る筈がない。
それなのに、現石原都行政は、国内に早急に対処すべき多くの矛盾多き問題を抱えながら、2016年のオリンピック開催国に名乗りを上げたのは勇み足そのものであり、多くの庶民が平穏無事に老後の生活を全うしたくとも耐乏生活を余儀なくさせられている実体を拱手傍観する不遜な思考回路の所産の何物でもない。
処で愛知と東京は、親戚である。いや愛知が親で、東京は子供の極めて近親な関係である。そもそも家康が、幕府を東京に置いた時には、武蔵、下総、相模「現在の東京、埼玉、千葉」等の一円は、何の文化の香りもない未開の地、湿地帯や雑木林で覆われた原野の姿であった。当時は、現愛知や大阪、京都の方が、はるかに歴史香る開かれた地方であった。詰り、江戸、東京は、家康の三河藩によって人工的に造られた街、都である。今でも古典芸能分野では、関西を上方と呼び、関東を下方と呼んでいるのは、この名残である。丁度、親に当たる英国よりも子のオーストラリア、ニュージーランド、カナダの方が大きくなってしまったとオーバーラップする。何時何時までも、親に当たる愛知県人が事のほか、三河人が造った江戸、東京に、我が子のように心配し、思いを寄せるのは、当然なる歴史が織り成す成り行きである。
現石原都政は、小学生でも分かる基本を見逃しているという他いいようがない。
狭い国土に1億2千万人が住みながら、労働力不足とは、何処かが狂っているとしか思えない。
老後の年金額の削除は、庶民の死活問題である
さて、話題を変えるが、各新聞紙上で財務省資料に基づき、掲載した記事によると、国が負う借金総額は83兆円にのぼり、赤ん坊をも勘定に入れた国民総数から計算すると、何と国民一人当たりが負う借金は、650万円であるという。
しかしながら、我々「戦後の負け組」に属する、正直な圧倒的多数の国民にとっては、一人当たりの借金が650万円と聞いても、然程困惑感を覚えない。
しかしながら、社会保険庁管轄の引退後の年金受給金が一昨年に大幅に削られて、ただでさえ少ない年金がすくなりなった不当な仕打ちには、身に迫った、危機感、恐怖を覚えるのは、決して私一人ではない筈である。
理由は、厚生労働省の統計資料によると、日本は老人社会になって来て、一人の年金受給者を支えるのに4人の若者が必要だからという。労働力が不足しているからだと言う。多くの国家資格を有しながら、国家社会の為にと、少しでも人が嫌がる3Kと言われる職務に進んで携わってきた我等引退者達にとって、余りにも失礼千万な言い草ではないのか?
こんな国に身を捧げることに、つくづくと不信感が自然と湧き出てくる。
この狭い国土に何と1億2千万人の人が住みながら、労働力不足という自体そのものが、ふざけた理不尽な話であって、この物理的な社会現象下にあるのだから、国策が誤っている他の何物でもない。
高等教育機関での学問継続だけが人生ではない
公立高校と私立大学の数が多すぎる
ここは、知識欲、研究心に飢えた者の集団でなければならない
ここで、私が後からこの理由を詳説するので、取り急ぎ理由を結論づけよう。
戦後6年制中高一貫校という私学の台頭に反応して、公立高校と私立大学が雨上がりの竹の子の様に驚異的数字で新設されて、結果、勉学など全く精励する気のない若者が多く就学すると言う憂き目を惹起して、「天文学的数字の若者が生み出すべき労働力を失った」からに他ならない。この一連の本題は、我が国が戦後60年も経過しているのに、未だ懸案事項になっている日本国特有の社会問題と断言できる。先進諸国には一国たりとも見受けられらに社会問題である。
約束通りに、理由を詳説する。
現愛知三河勢によって未開、不毛の地であり続けた際立った歴史を持たない江戸に、極めて人工的に建造された「徳川幕府」は、平穏無事に260年の時を刻んだ。しかし、身分制度を生み出す等多くの封建的負の財産も内包していた。そこで、薩摩、土佐、長州、肥前勢が特に長州、土佐、薩摩がこの武家政治を打破して、政治の実権を幕府から奪い、「王政復古」朝廷に移した。
この点で、所謂「藩閥政治」は、日本社会に弊習打破し、世界へ目を向けるという近代化という輝かしい大きな功績を残した。
しかし反面この「藩閥政治」は、首相初め多くの主要な閣僚を独占し続けて、「富国強兵」「産めよ増やせよ」の国策を柱にして、我が国を世界の舞台で一途に名誉ある地位を獲得出来る様に方向付けようと奔走した余り、他面身の程知らずの野望で、1871年の琉球占領に始まって1945年の敗戦に至る間、その間約75年間にわたり、多くの人命を犠牲にして領土拡大に奔走したが故に、結末は、世界最初の原爆投下であった。
この一連の野望は、1945年の敗戦で打ちひしがれた。藩閥政治と帝国陸軍の打算なき呉策は責任重大であった。とんでもないことをやってくれたものだ。
私は現役時代に、クレーンの仕事で、高知の桂浜、山口の徳山、愛媛の宇和島等に滞在したことがある、旅烏であったので、地方の後進性は肌身で体験してきている。
自分には何の取り得、専門的な知識、教養もないのに、「ああでもない、こうでもない」と従業員にケチをつけて、号令をかけることだけには長けている、富裕県と知られる大阪の指導者層でさえそうである。ましてや、貧者番付トップクラスの土佐、鹿児島、山口、佐賀等の藩閥出の政治家については、多くを語るまでもない。
しかし、我が国を太平の眠りから呼び起こし、広い世界に目を向けさせた功績も残した。とかく歴史は、右往左往、上下に波打ちながら時を刻んでいくものだ。長期的に観て、上昇線を描く様に、日本民族がお互いに欠点を補い、協力し合って未来のよりよい幸福に向かって尽力するのが我々後進に課せられた宿題ではないのか?
GHQは、臨時政府を我が国に置いて、他の枢軸国側のイタリヤ、ドイツとは異なって、我が国だけに対して世界に冠たる653制から633制へと教育制度を代えた。之は飽くまで、敗戦の混乱から日本が立ち上がるための一時的な手助けえで、臨時政府であった。
「馬を水際に連れて行くことは出来るが、水を呑ます事は出来ない」という有名な古の中国の諺がある。
653制を破壊された窮地から、一部の日本人は、私塾の発想から全く公教育から離れて、受験に強い中高一貫校という制度で以って、日本全国各地でこの型で私立学校を次々と経営し始めた。之が今日の中高一貫校のはしり、足跡である。この点で、戦後の私学教育が中等教育で果たした役割は、それなりの功績があったと言える。
しかし、勿論大学受験を突破するためだけに、私人が経営を始めたのが事の始まりであったので、この種の学校を卒業した者は、今日まで例外なく難解な試験を突破して国公立大学へ入学を果たし続けている。
そこで、国民の税金で経営される公教育機関である公立の中学校の生徒、父兄、都道府県及び市町村の教育委員会等の関係者一同は、戦前は狂信的な偏狭な宗教家や地場産業を育てるためにのみ人材を募った市町村の名士や慈善者が創設した学校が、横は入りして自分達が目指す国公立大学へ卒業生を大量に送り込み続けるのに危機感を覚えて、即ち「種の保存」「自己防衛」の本能から、数で勝負しようとして、無制限に多くの公立高校を創設し始めた。問題の公立高校の粗製濫造の過程である。
しかし、一方この貧弱極まる33制という制度下の「公立高校」を卒業しても、収容してくれる場はなくて、関係者一同は彼等の新たな行き場、受け皿を求めるしか方策はなかった。結果、私立大学が時代の要請によって今日に見るが如くに、世界に類のない極端さで粗製濫造され始め、多すぎる状態で存在するに至った次第であった。
この先進諸国に一例もない「いたちごっこ」、負の財産のみがもたらす果てしなく続く「堂々巡り」は、一刻も早く現場で学ぶ学童、生徒の立場に立って断ち切らなければならない。事の始まりは、国公立大学へ卒業者を送り込むためのみに、戦後素早く6年制をとった私学校の台頭である。
義務教育機関は、そこに学ぶ者にとって強制的である。
しかし、高等教育機関である高校、大学は、知識欲や研究心に飢えた者を受け入れる為の機関である。古今東西を問わない大原則である。
やる気のない者は去るべきが本旨である。いやいやのままで勉学、研究に携わっていても、本人自身も苦痛だし可哀想で、それに国家社会の為にも資さない。何も勉学が嫌いなのは、恥でない。どんなに、労働に勤しんだ方が本人自身には幸せとなろうか。
戦後の我が国を除いて、地球上の世界の先進諸国の何処に、高校は完全に義務教育化され、いや大学までも義務教育化されている国があろうか?あったら教えて欲しい。
これらの若者達が、稼動し始めれば、我が国の労働力が不足する事態は見事に間違いなく解消されること明白である。何せ狭い国土に、何と1億2千万の人々が住む日本国で、労働力不足問題が生じること自体どう考えてもおかしい。物理的に世界の七不思議に入る。
詰まり戦後の公的な教育制度は、文部科学省だけでは決してなく、財務省、厚生労働省、社会保険庁を包括して、広範囲にわたる日本民族に悩みの種となり続けている。
再度強調して記して置くが、高校、大学は、学習とか研究意欲に満ちた者の集団、難度な試験を公明正大に突破してきた、選ばれし者の集団であるべきは、古今東西を問わない人類の常識そのものである。
その際、選考方法は、再度記すが、公明正大が当事者全員いや当国民全員の永遠の規範である。
詰まり、いち早く社会人となる方々が自分の立場、就労に十二分に納得出来る様な選考方法が、同邦人として必要不可避となってくる。
高等教育機関への進学に於ける選考方法には、規範的公明正大さを、先ず現場の最前線にいる、児童、生徒に植え付けよう!
飽くまで若くして勤労に勤しむ青年が、気持ちよく働けうる様に、納得の行く選考方法を実現できる様な教育制度を確立しなければならない
分かりやすい実例を挙げよう!
さて、戦後の教育制度である633制の打破こそが、これらの労働力不足をも解決する最も効果的な方法であるが、次に採るべき制度は、何が最適を探求していきたい。
その前に、若くして就労し国民総生産に貢献しようとする、ブルーカラーの若年労働者が、気持ちよく何の疑惑もなく、心底から職務に精励していただく為には、教育関係者はいかなる方策を採るべきか、この規範について言及したい。
ここに具体的に読者にもっと分かり易く実例をあげよう。ロシアでは、日本で言う小学校、中学校、高校が同じ敷地に建造されていて、管轄地域内の全子供、青少年は男女を問わずに11年間にわたって、各管轄地で同じ学校に通う制度を採用している。私が住んでいたサンクトペテルブルグでも日本に最近のウラジオストックでも言うまでもなく勿論そうである。従って、11年間の長期間、就学を同じ仲間と共有する訳であるから、如何に一学年に在籍する学童、青少年男女の数が多くともお互いに、得意学科、不得意学科、特徴が熟知出来るようになる。ロシアの義務教育年限は一応8-9年となっている。
初等学校は、6歳か7歳から10歳までの3から4年間、日本の中学校に当たる初期中等教育学校は10歳から15歳までの5年間である。それでも遥かに日本の小学校年限である6年よりも永いからである。
日本の高校に当たる後期中等教育は、15歳から17歳までの2年間と定められている。一番注目すべきことは、学校現場の就学者ばかりか、子供達から自然と聞く日常会話から、彼等の父兄達も又我が子供と同学年の全子供達について、これら学業成績の程度を概ね把握するに至るのである。結果、全く学業成績が不振であったお友達が上級学校へ進学を果たす様な事態は、起りようがない訳である。万が一そんな不測の事態が起れば、父兄達の間よりも先にまず現場の最前線にいる子供達の間でたちまち話題騒然となる。疑問視されるに至るのである。
尚、後期中等教育学校から、高等教育学校へ入学を果たす者は、全体の25パーセントにすぎない。
縁故や裏口や入試無しでの入学者は、皆無で一人もいない。
詰まり、上級学校への進学を果たすことが出来ずに止む無く社会に出て就業した(負け組)も、十分永い年月を与えられてお友達と学業、スポーツで競い合った所産なので、自分達の立場、結果に不満を抱かずに納得しているのである。これがここで私が一番強調したいエッセンス、規範的な公明正大なる選考形態、規範的な教育制度である。
たった3年間だけ学業、スポーツを共有するだけでは、同じ学年に在籍する全お友達の特徴、学業成績をどうして把握できようか?
私は日本人であり、この文章を容易に理解出来る方も大方は日本人であろう。ロシア、ドイツ、イギリス等他国のことは心配しなくてもいい。問題は、大きく遅れた日本に目を向けることだ。敗戦を機に公教育に於いて、世界に冠たる653制から戦後633制の教育制度を、採るに及んだ。日本全国津々浦々で、中学校はたった3年間だけ学んで、その後一応入学試験はあるが、全く別の敷地にある高校へ進学し、そこではお友達も違ってくるし、たった3年間だけ学んで、各自が将来の選択へと進む訳である。ある者は大学の入試に臨む訳である。一番の問題点は、たった3年間だけ学業、スポーツを共にするだけでは、同じ学年に在籍する全お友達の前記の得意学科、不得意学科、特徴詰まり、学業成績の概要を、どうして把握出来ようか?余程の社交性豊かな外向性の生徒でしかも記憶力抜群の秀才でなければ、無理である。この盲点を潜り、ある生徒は親の七光りを利して、非公明正大(アンフエア)に、上級学校への入学を果たすという憂慮すべき事態が多々発生して止まないのである。
要約すると、高校へ乃至大学へ進学出来ずに、止む無く社会人となり就業した羽目となった、所謂(負け組)に属する若者は、現在置かれた自身の立場、運命に当然のことであるが、不満とか疑惑を抱くに至るのである。これこそが私が強調して止まない、あるまじき同邦人間の不信感の発生を誘発する土壌であり、規範的概念を大きく逸脱した非公明正大な選考方法を容易に誘発して、多くの面で国家の国際競争力の脆弱化を来たし、一つには延いては問題の深刻極まる国家総労働力不足進行へ直結する。
冒頭に、以上の私の主張の意とする処は、決して早期稼働、国家の労働力進捗について、ネガチィブなマイナス思考に存するのではなく、学校教育と同等にこれら早期稼働、国家の労働力進捗に敬意を払い、推進しなければならないという、ポジチィブ思考に存することを言明しておきたい。
実際私自身も大学を出て一時期ホワイトカラーの事務職に就労していたが、圧倒的大半の現役時代を、ブルーカラーの職種に従事してきた仲間なので、若者の稼働とかブルーカラーに就く若者へは、一方ならず敬意を払っており、又世間は払うべきだと確信して止まない。若き日には農場でトラクターに乗務していた、ノーベル賞受賞者のゴルバチョフ氏を大尊敬する事由も一つにはここにある。
それに加えて、私と血のつながりがある祖父の兄に当たる方は、宮田小学校から青雲の志しを抱いて、当時の秀英が集った愛知一中(戦後の東海学園に相当する)へ入学されたが、学校教育どころか(学問は実生活に役立たない)という持論の持ち主で、中退されて、商社勤務を経て事業を起こされた逸話を有している関係者でもあるので、ブルーカラーに就く若者への関心は、一般世間人よりも遥かに温い。
要するに、中学乃至高校を出て就労に就く方々が、十分に納得済みで気持ち良く勤労に勤しんでいただける様な、社会構造の構築、即ち入学選考に際して公明正大さの徹底、この実現の為に、国民の体質に合い世界に通用する教育制度への改革断行を可及的速やかになすべきを、長年にわたり声を大にして訴え続けている次第である。
来るべき教育制度は93制に限る。議論の余地は全くない。
之への挑戦は、財政面に余裕のない自治体、市町村でも可能な、低コストですむ手法に限る
ここで一歩前進しよう!あるべき教育制度は、どんなものが良いのか?93制、66制、12制と色々考えられる。この際留意すべき最優先事項は、日本国民の体質に合うことだ。どんなに優れた制度でも、国民の器、能力を越えた物ならば、直ぐに壊れる。飽くまで大部分の国民が消化可能な制度に留めるべきだ。加えて、633制からの移行に際して、財政面で余裕のない自治体、市町村でも採用、導入可能な、簡単で低コストで済む制度とか手法でなければならない。
一、
義務教育年限9年間の徹底なる順守姿勢と同時に将来的に8年制へ挑戦の可能性
先にも述べたように、義務教育年限を高校皆入学で実質12年間としている戦後の我が国こそ世界の異端児、例外であってロシアでも欧州諸国でも必ず8乃至9年限が順守されている。この点を先ず第一に改革断行に当たり尊重し考慮すべきである。
二、
又、我が国と同盟条約を締結しているアメリカには、一つに84制という制度が採用され長年施行され続けている。一貫性がないバラバラのままで63制の現状形態で義務教育を便々と9年間行っているよりも、同じ校門を登校、下校の際に全生徒達は共通して、それに運動場を共有し、校舎を同一敷地に設置する、所謂世界に通用する本来の意味に於ける一貫制度を義務教育年限に適応すれば、9年間かけて生徒諸君に施している知識、技能、スポーツ成果を8年間で習得させることは、十分に可能である。さすれば、何時の日か我が国最大の親交国であるアメリカと全く同一の、念願の84制を採用出来る可能性を残し、あるべき方向性を温存することが可能となる。
三、
66制となれば、後期中等教育学校即ち日本で言う高校進学に際しての入試が果たして公教育機関であるとは言え、教師と生徒間で恩情心が沸いて、規範的な(公明正大な選考)が完全に日本全国津々浦々で行うことが出来るか否か甚だ疑問となる。
四、
以上三項を勘案すると、私が数年来主張して止まない93制が我が国民には最適であることは、自明の理であり、とっくの昔に議論の余地は全くない。この点にまつわる議論は、改革の国民的着行、速度を遅延させる何物でもなく、専ら時間の浪費、無駄となり、現場で日々学ぶ学童、生徒達の大敵である。
我が国民の体質に合わない66及び12制は、私学の開成さん、灘さん、東海さん、滝さん等に任せれば良い。実際、戦前の日本の中等教育は世界に冠たるものであったが、帝国大学への直前の53制が不適合だとして、学習院、武蔵、成城等の私学は、8年制を採っていた。この私学特有の制度を活用して、東京帝国大学法学部を経て、首相になられた方もいた。この様な私学への進学に対しては、生徒各自の個人の自由選択に委ねれば良い。私が断言するのは、公的制度として、日本国が66制とか12制を採用すれば、世界から問題にされないだけだという事態の招来である。
通学にまつわる管轄地域内の線引き作業が、関係当事者の最重要課題となってくる。腕の見せ所である
では、一番緊急にして最重要課題である93制を、いかにしたら可及的速やかに、この日本という国土に植え付けることができるか?方法論に言及する。
校舎一体型の9年制「全生徒が同じ校門を登校下校に際して共有し、運動場を共有し、校舎が同じ敷地内に存する」、小中一貫校は、財政豊かな都市部、限られた市町村だけの特権であってはならない。
財政難に苦しむ多くの市町村も現行の63制から、低コストでしかも簡易に改革できてこそ、私が40年来唱えている9年制は、国民的に定着し、愛され、国家的制度として開花する。
「戦後の負け組み」には「勝ち組」へ復活できるチャンスが与えられる。「戦前の負け組み」は再び「負け組み」になる可能性が出てくる。
従って、従前の学校の敷地、校舎を利用してこそ、結実し開花する。問題は、通学にまつわる管轄区域についての、綿密で正確な線引きが、大きな関係者の課題となってくる。
別に新校舎を建造したり、他の場所を学校の敷地にするような、改革は私の意とするものでは決してない。誰にでも出来る。真の教育改革ではない。必ず、遅かれ早かれ、頓挫する羽目に落ちるいるからである。
江南市が何の特徴も無い、物心両面で後進地域、財政難へと陥っているのは、自業自得である。
何故30年前に、私を市議に迎え入れなかったのか?
これからでも決して遅くはない。市民各自は、一江南市民であると同時に一世界市民であるという自覚を常に持つことが、長年の難題を打破してくれる
かれこれ30年以上の昔となるが、私は、公立高校経由の戦後の負け組を救う救世軍として、(教育制度改革)を政治使命に表明して江南市会議員に立候補した。これを謳って文書を宮後地区の住民の各家に配った。今でも離れの小屋に、これを謳った表明文書は数部残っている。持ち金300万円と父から150万円援助してもらったが、結果は落選であった。今のお金で換算すれば、優に600万円はつぎ込んだ。
もし、当時あの市議選で私が当選していたならば、間違いなく100パーセントの確率で、市内の全学校はとっくの昔に、小中一貫の9年制学校になっていた。そればかりか殆間違いなく愛知県内の学校は9年制を成し遂げていた。
全国きっての富裕県の愛知だが、最北にあるここ江南市と長野県境にある山村だけは、貧困財政に長年苦しみ続けているが、私が一市議員になっていたならば、江南市内の前期中等教育学校(中学校)の卒業生は、どの公立高校へ進学しても、抜群の成績を上げる実績を残し、以て日本的に卓越した人材を各方面に送り込み、一つに優良企業の誘致等軽く功を奏して、よって市の財政は現在よりも遥かに豊かになっていたであろう。昨今の物心両面の貧弱さは、誤った思考回路を抱き人選を誤った当時の市民が惹起したもので、後進の現市民は甘受すべき至当な報い、因果応報である。
ここで全江南市民に申し上げたい。各々各位は、江南市民の一人であるという認識と同時に世界市民の一人であると自覚する事が必須である。
世界各国の人々と交流なくしては、個人も地方公共団体も物心両面で未来、発展はない。身近な物を見ても全てそうだ。電灯、ラジオ、テレビ、電話、地震に強い鉄筋コンクリートの家、外に出ても自転車、自動車、駅の階段の鉄製のてすり、電車等など、、、、、これらは決して邦人が考え出した物でない。日本屈指の富裕県愛知の台所を支える収入源は、外国船が出入りする、良港の名古屋港等の港である。
特に我が家が立つ宮後地区を内包する古知野町は、長い近代史の中で繁栄を極め(勝ち組)になった形跡は一度も有さないというはかない歴史しか持っていない。そこに住む村人は、水飲み百姓でこの広い尾張地区でも物心両面で最下層に属していた。野蛮で下品さが目立っていた。
現江南市内でかつて栄え富んでいたのは、木曾川流域の宮田村であった。水車屋が数十件あり、一宮、祖父江、西春等の文字通り広範囲な尾張全域から多くの人々は、精米、搾油を受けるために宮田村を訪れていたばかりか、村民は滔々と流れる水量豊かな木曾川に船を浮かべ、河口の桑名地方の住民と交流を密にして、大根、人参、米等の農産物を移送する代りに、帰り船で、魚介類を豊富に仕入れて全盛期を享受していた。宮田村には、商人や訪問者を受け入れるための、旅館や遊郭や女郎屋もあった。ちなみに私の本家はつい最近の戦前まで、40町歩の田畑山林を有する地主であった。宮後をも包含した意味に於ける、古知野村の地主とは、この数字が示す様に、同じ地主でも比肩の範疇でない広大な土地を有していたことからも、容易に当時の勢力地域の詳細が分かる。
宮田村の他で強いて、古知野、飛高等が属していた旧丹羽郡で唯一栄えていた街を挙げれば、現布袋町であった。郡役所や銀行はこの布袋にあり、古知野には銀行は全く存しなかった。
要するに、私が立候補した地区の住民は、野暮、無教養、下品な一連の祖先を持ち、古くから日本的な先進地と知られる名古屋、三河の海岸沿い村から、遠く取残された桑畑一面の偏村でしかなかった。この地区の住民は、蜂須賀小六の誕生の地であるとか、戦国時代に武将達が駆け巡った武功夜話のふるさとである等と言ってウエットに遠い昔を物語るが、これとて確かな証拠が存しないばかりか、何と450年程の大昔の逸話にすぎない。ないよりは益しだが、現代の江南市民の生活向上と何の関係があろうか?殆どない。
改革を成し遂げるには、支流である曲学阿世の徒に気をとられることなく、世界に多くのお友達がいる教育制度に向かって尽力しようとする本流に目を向けることである
ところで話題を変えるが、どんな良い革命、改革にも必ず潮流、本流に抗するひねくれ者、曲者といった異端者が現れるのがこの世の常である。従って、当改革に従事する者は、これら異端者を押さえることよりも、自分達の勢力を益々浸透、拡大することに精励すべきだ。庭に雑草を蔓延させない為には、芝生や庭木を植えて茂らせることだ。
1、
今になっても尚、一部の公共団体は、この国に浸透しにくい中高一貫校を新設している。何を考えていることだろうか?
2、
東大合格者数で全国に名を馳せる岡崎高、一宮高等で以て日本一の公立王国愛知ではあるが、一番我々が教育改革に口出しして欲しくない輩「戦後の勝ち組:私立高校経由者」の一人である石田元犬山市長が、知事選で(少人数学級)を唱え、同窓生の誼みで現知事もこれを若干県政の公約に採り入れている。私は石田氏は地元の公立高出だと思い込んでいたが、あちらの高校出であることを知って、本当にたまげた。(大泥棒ほど罪の自覚が薄い)という諺がピッタリだ。
ドロボウを審理するに、判事に元ドロボウで、ドロボウ業で財産と名誉をかちとった者が、就任したならば、公正なる審議が期待できないことぐらいは、小学生でも十分に分かる。
3、
又、隣県の岐阜は、地勢学的に日本の中心地であることからも伝統的に、知事さん、市長さんは愛知県の知事さん、名古屋市長さんとは趣を異にして、どなたも公立高経由でご立派な大学をご卒業された方方で、我々庶民と桁違いの収入を得られるだけの価値は十分にあると本当に思わせる卓越した人物であるという思いが私はする。
しかし、この岐阜市に京都に本部がある某私立機関が、はるばる京都から、柔らかい京都弁で当市職員に、市内に、(付属の中高一貫校)を造らないかと頻繁に勧誘に出向いているという。物腰は柔らかいが、一部の京都人の非見識極まる厚かましさ、無礼さを垣間見ることができる。
要するに、これらの小さな支流の曲学阿世の徒に注意を取られるのではなくて、世界に通用し多くの仲間がいて、国民の体質に合う制度をこの国土に定着させるという本流に専念することが肝要である。
実際に、石田氏は県会議員、市長を昨年まで連続して歴任されてきた人物なので、収入において、私のそれとは比肩ではない程の多額である。万が一、これをもって現役を退かれても年金額は大違いである。それにもかかわらず、氏の(少人数学級)を教育改革と位置付け定義し、之に追従し実施する公共団体は、全国多しと言えども皆無に近い。
それに比べ、びた一文も公金を戴いていない私の(校舎一体型の小中一貫校)は、後進の若いエネルギーの賛同で、全国津々浦々で次々と実現されつつある。結実し色とりどりの美しい花が開花しつつある。両者の影響力は、比肩の類いではない。
この現実を、氏は何と理解し、弁明することだろうか?
その差は、我が国民の真理を見抜く心豊かな底力による所大である。
私が江南市長になったら、必ず市内の全小中学校を9年制の学校にします。
もし、文部大臣になったら、必ず全国の小中学校を9年制の学校にします。
之が私の2007年の年頭の辞だ。
今日は正月3日、水曜日であるが、明日は市のジムへ行ってみようと思う。未だ未だ延々とこの文書は続くが、今回の結びに入りたい。先は永い。焦らなくとも良い。
姪の住むカナダのヴァンクーヴァーでは、不慮の事故で、車椅子生活を余儀なくされた身障者である方が長年にわたって市長に就かれている。彼は、四肢不自由の身「二肢ではない」で、2010年には冬季五輪がヴァンクーヴァーで開催されるので、大役が待ち受けているが、無難にこなされるであろうことに誰も疑いを抱かない。
彼の任務完とうを疑問視するのは、一度も栄光の歴史「勝ち組」を経験したことがない旧古知野町の保守派や大阪雀も舌を巻く程の無教養の癖に他人に号令をかける事だけに長けた市議や外からの優秀な新風の導入を嫌い高い垣根で斜陽に向かう閉鎖社会に固辞する市職員等の、極めて僅かの少数派でしかない。
私は概ね週に一回は市役所へ赴くので、(言葉を慎め)とか(良く考えてものを言え)といった言葉が聞こえて来そうだが、2007年の年頭に当たり、ここに言って置く。
(もし私が市長になったら、市内の全校を間違いなく小中一貫校にします)と、そしてもし文部大臣になったら、(全国の全校を小中一貫校にします)と言明する。
前記の人を小馬鹿にしている、見くびっている不逞の輩である市行政に携わる一部の関係筋である方々に再度言って置く。
(私が市長になったら、必ず全国に先駆けて先ず江南市内の全校を小中一貫校にします)
市役所のロビーでよくライブ、即ち現在進行中の議会の様子を、テレビで見かける。あの程度の質疑応答ならば、誰でも出来るの一言に尽きる。むしろ出来ないほうが可笑しい。この県内屈指の後進地帯の江南市といえども、実に多くの知識人が市内に多く住んでおられることを、市長さん初め市議会議員の皆さんは、きっと十分にご存知であろう。
CNN及びBBCの皆さん ! 「戦後の負け組み」の皆さん!今年も健康で、遅くとも着実に1歩1歩前進しましょう!
許可なくして転載、借用等の一切の引用を禁ず
小澤成次
Friday, January 05, 2007
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