Thursday, April 26, 2007

「小中一貫の公立9年制学校」への挑戦は、財政難市町村に入る江南市でも十二分に実現可能だ

お久しぶりです。苦楽を共にして来た我が最も信頼できる全国津々浦々の”戦後の負け組の皆さん”、我が最愛にして毎日一日も欠かさずスクリーンでお目にかかっている ”CNN ”の皆さんそして我が師と仰ぎ我が国が模範とする教育制度を長年堅持するイギリスの ” BBC ”の皆さん!お元気ですか?



市長には無い者尽くしの部落民の代表堀元が当選したが内心忸怩たるものがあることは確かだ。我々は焦らず着実に健康第一で今まで通りに前進しよう

我が国では統一地方選挙が行われ、我が街江南市でもつい一昨日の4月22日に投票が済みました。私が目指す市長においては、気骨のない軟体動物のようなフニャフニャの3人が立候補して、結果は現職の堀元が当選しました。いずれも市民を代表する為政者の資質等到底有さない無能者で、関西で言う「部落民」でした。そのくせ市長に就任すれば、収入だけは貴方達アメリカ国民も驚くほどの多額で、二期も勤れば、良港付近で住宅用の土地を購入出来る程のひと財産を残せます。同じむじなの部落民の3人ではあるとは言うものの、堀は無い者尽くしの真即ち本物の部落民であるし、公立高校出なので最も質「たち」がよく処し易い人物なので、「不幸中の幸い」と言った所でした。
処でこの江南は私が約30年前に庶民に公約した通りの道へと進んでいますので、何も心配することはありません。浮足だっているのは、低質極まる立候補者の中から已むを得ず、たまたままぐれにも市民から当選させてもらった彼の方です。
お互いに健康第一で栄光へ向かって頑張り抜きましょうね!遅くとも着実に進みたいものです。特に私の場合は、心臓が弱く為に足腰の筋肉が脆弱化する病なので、晴天の日は勤て戸外に出て、根気よくリハビリに精励します。



我が30年前の市議選での3つの公約は当時では変人扱いにされたが、3打数2安打の超高打率でこの県下屈指の財政難都市江南でも実現された

我が街では最近、市長選と市議選との立候補者を一同に網羅した掲示板が市内の至る所で眼にする。街戦車からは立候補者の名を叫ぶかん高い女性の声が至る所で聞かれる。約30年程前の丁度この期に江南市議選に立った我が身を鮮明に否でも回想されて来る。

当時私は要約すると次の所信表明をした。公約事項は詳細に新聞にして地域住民の家に軒並みに配った関係上数部は今なお我が家の倉庫に保管されて居る。当時は父も健在であったので物心両面で大いに援助してもらった。さて、本題に入るが何を所信表明としたかである。要約すると次の3点となる。

1)
敗戦直後の臨時暫定政府であったGHQにより653制から633制を強いられ教育改革が実行された。
結果戦前の伝統校が衰退し代りに私立の6年制一貫校が台頭してきた。そこの在学生は皆創設者の建学精神を身につける為ではなくて、専ら有名国公立大へ合格する為に予備校として通学している。この大きな経済的損失、時間的空白を税金で運営される公教育が補填すべきは一番経済的かつ時間的に効能的である。公教育を受けんがために私学へ予備校として通う空白を、公教育で賄うべきは経済的且つ時間的両面から一番効率的だ。

2)
先進諸国のように社会福祉や医療にもっと多くの金額を投入するためには、現行の消費税をもっと高く引き上げるべきだ。

3)
消費税による税収を社会福祉や年金や高齢者医療に優先して回し充実すべき最大の理由は、道路、橋等の公共事業も大切だが、人の人生は一回しか与えられていないので、公共事業に公金を投入するよりも遥かに市民、国民各自の為になる。
「イギリスの様な揺り籠から墓場まで」の政策で公の政治が責任を持って個々人の生活を保障すべきは、遍く与野党を問わず政治に係わる全ての者の任務である。    

以上の3点であった。その中

2)は当時のここ江南市や日本の世情では暴論で誰もが反対した。誰も問題にはしてくれなかった。しかし数年後に見事に1987年から政権を採った竹下内閣時により消費税率の値上がりは実現した。

3)は年々歳々年月が経つにつれて、ここ愛知の最北端で僻地、県下屈指の貧困財政市の江南では逐次素晴らしい展開が続けられて、結果今日に見るが如くの完全過ぎる程に完璧に社会福祉医療機関が充実した江南市が実現された。問題は全くない程の完璧さである。正に県下屈指の医療福祉王国江南市の見るが如くの誕生有様である。

しかし当時の私のこの主張には、2)と全く同様に「老人ばかりが増えて仕方が無い」と多くの市民から冷笑されたものであった。社会の中位乃至底辺にある市民の社会福祉、医療、年金分野の充実を計る主張は、当時では野党が取り組むべき課題とされて、市の活性化とか発展には関係ないとして冷笑され、片隅に追いやられたという苦い経験を身を呈して味わった。


当時の私は未だ体力があったので何を非難されののしられようと、ジッーと我慢したが、今ならば直ぐに次の如くに言い返すであろう。「それでは中部の台所である名古屋港から可也の遠距離に位置する江南市には後100年待っても活力ある経済力を隣村大口の様に確実に実現させる事が出来るのか?曖昧な青写真を前提にするよりもこの市ならではのしかも確実に実現可能な歩むべき道を施策として呈示すべきではないのか?」と。



そもそも長寿、人間の寿命という観点からすると経済や文化が発達している名古屋圏、トヨタのある三河の良港周辺地域、愛知全域の良港付近の地域よりも岐阜の山間地域の住民達の方が遥かに長寿である。言わばここ江南は完全に後者の長寿地域に入る。若かったがこの原則を私は銘記していた。競争心が希薄だからだ。

さて、言うまでもなく人類は切磋琢磨し厳しい競争原理によって今日の如くの素晴らしい発展を文明文化の両面に於て成し遂げてきた。多面この過度な競争心は時には人類を不幸な戦火へ追いやって来たし、個々の天与から授かった寿命、天命を強いて縮める結果を惹起している。

従って、競争心から疎遠な岐阜の山間部の住民が、統計的に長年連続して最も長寿であることやここ江南市に於て老後を過ごすのは賢明な渡世であったり老人敬愛の見地から多くの病院医院が今日見るが如くに誕生存在し続けることは、決して不思議な現象ではなくて極く自然な因果関係である。



私は30年以上前からこの地が若者で活気に満ちた経済力ある街へと変貌を遂げることは、良港の名古屋港からかなり遠い距離に位置している事由から至難の業と見なしていたが、穏やかな田園都市として老後の人生を送るのには適地であり、よってイギリス、北欧並の老人擁護の医療社会福祉機関面での充実で発展を遂げる見込みは十分ありと予測していた。市政の方向性はここにあると確信していた。この予測は正に的中した次第だ。年々歳々益々ぴったしカンカンであった事を鮮明に証明し続けてくれた。今後も益々鮮明に証明し続けてくれる事であろうことは間違いない。




懸案公約はただ一つ、「小中一貫の公立9年制学校」の誕生だけとなっている。之は財政難市町村でも十二分に実現可能事項だ。中高一貫校の在学生は全員遠路しかも高額な学費を払って、税金で運営される国公立大へ進学する為の「予備校」として通学している。創設者の精神を慕って通学している生徒は皆無だ。

従って、未に我が所信表明事項で実現されていないのは、残された1)だけと成っている。即ち我が街と我が国に於ける初等中等教育の公教育化に於ける未熟状態だけとなった。しかし此が難産状態で難しいが、世界の教育界の潮流乃至現場で日々悶え苦しむ児童青年男女を目の前にすると、残されたたった一つの避けて通れない依然長年の懸案の難題となリ続けている。

処で「初等中等教育の公教育化」とか「小通学区制に基ずく9年制小中一貫校の創設」は、当該市町村の財政力とは全く無関係事項である。県下屈指の貧困財政都市の江南市でも十二分に達成できる可能性を潜めている。




県下屈指の社会福祉医療王国江南となった我が町が次にターゲットとすべきは、義務教育9年制公立一貫校の創設で、初等中等王国江南の誕生である。市の財政事情の優劣とは全く無縁のターゲットだ。

さて再び本題に戻ろう!もっと分りやすく詳説したい。
1、
エンゲル係数は、「各家庭の総消費額の内、食糧費が占める割合が大きい程生活水準は低い」と定義した。今日風に言えば、「各家庭の総消費額の内、食料費、医療費が占める割合が大きいほど生活水準は低い」ことに結びつく。
これは田舎の住民が今でもよく言う「人生食って通れば良い」の言葉の意とすると点と完全に合致する。「近所隣とは不必要な見栄や競争心を極力排しようではないか」とする永年に亘る世代の生活の知恵が生み出したものだ。

2、
夜間にも照光して作出される観賞用の商品となる菊は、確かに一時期は満開に見事に開花して奇麗だが、自然に育てられた菊よりも遥かに短命である。

3、
少年青年期に学問、スポーツに秀でた、又成年壮年期に文化、経済力に秀でた良港界隈の住民が、競争心を知らない山間や田園都市江南の住民よりも概して短命であリうることは永年の統計によるばかりか誰でも小学生でも理解出来る。



何度も繰り返すが、「初等中等教育の公教育化」とか「小通学区制に基ずく9年制小中一貫校の創設」は、当該市町村の財政力とは全く無縁の問題事項だ。
県内屈指の社会福祉医療王国江南市の栄光の座を獲得したこの街が、賢明なる市民が、次に目指すべき十分に達成可能な青写真は世界の潮流に合流する初等中等教育の公教育化であり、小中一貫校という実体に於ける公教育王国江南の誕生である。
之は財源詰り金が無くても簡単に達成できる目標であり、しかも極めて戦後の日本社会には貢献度の高い真っ正にして時宜を得た価値高い施策に値し、為政者の採るべき方向性でもある。誰が恣意的に反対しようともいかなる政治家が遮ろうとも、この大きな世界の潮流の波は、年々歳々勢力を日本社会ばかりかここ江南市に於いても、間違いなく根付いて行き続ける事であろう。
私達は一刻も速く現場の学童青少年男女の苦しみもがく姿を目前にすると同志の数を増やして、小中一貫9年制学校の筋道を軌道に乗せたいがために、「来る者は拒まず」の基本姿勢は堅持し続けるが、さりとてたとえトヨタの幹部や愛知県知事が如何に反旗を翻そうと、大きな時代の要請と世界の潮流の波には到底抗し続ける事は不可能であろうという確信を抱いている。従って、トヨタの幹部や愛知県知事等に伏して協力を願う必要は微塵もなく、飽くまで、戦後の負け組である国民市民の中で圧倒的多数を占める市民国民が理解を深めさえして行ってくれれば、時代の趨勢と共にこの9年制公立一貫校の優勢は遅くとも着実に推進されていくであろう明らかだであると観測している。




江南市から医院、病院を取ったら何も残らない。人が集まっているのは必ずここだ。夕張市と化す。しかし、
向学心と謙虚さが無い医師はしばしば罹患者の権利を侵しやすい。当局、関係筋、周囲の監視の目が必須だ

この江南市が経済力ある活気ある街へと変貌を遂げることは、不可能ではないが至難の業である。歴史を織り成して来た何世代にも亙る賢明な住民と市政参画者が不断の努力で獲得した成果である老人に優しい街、老後をのんびりと長生き出来る街、医療機関である病院と個人医院に満る街、此を私達江南市民は絶対に手放してならない。之は絶対に譲れな必要不可欠な条件である。此に徹頭徹尾留意して、私は以下の提言を呈する次第だ。誤解のないよう十分注意してもらいたい。

処で私事であるが、我が父、母、祖母は長生きであったしどの血縁者を見渡しても生存中に身体障害となった者は一人もいない。だが予想に反して我が身は数年前から身障者となった。従って、リハビリと病気進行に対する予防と健康維持と長寿のためによく病院通いを余儀無くする羽目となった。そこで接する方は大抵はお医者さんや看護婦さんである。そこでの出来事は、圧倒的に多くはありがたい事が占めるが、たまに耐え難い医師の非常識、暴言に出会う事が度々ある。当局及び広く関係者の善後策を求めてここに以下の如くに提言する次第だ。

一、
医師は国家資格であり、此さえ取得すれば連日罹患者と当然日本語で会話を交わし、病状に合う   既製品の薬を出すだけでも、可也の高額な定収入を手中に出来る。特に男性医師にはこの様な単調な生活によくも満足されているいるものだと私は落胆すること度々である。

そんな輩の彼等からは医師資格を取ったら何も残らない。きっと彼等には医師資格を設けたこの国には、「日本国様様」の感謝心で一杯の事であろう。言って見れば彼等は偏狭なる完全なる国粋主義者に成り下がっている。

ニ、
そんな奴らに限って、多くは大学卒業後及び医師資格取得後には、日進月歩で発展をとげている欧米医学への挑戦とか探求心は全く存しない。どっぷりと日本村が与えた医師資格の恩恵を蒙っているだけだ。

例えば、ドイツ、フィンランド等の大卒者は医者に限らず国際語である英語には会話に事欠かさないばかりか、暇さえあれば世界共通語である英語で書かれた、自分達の専門書の原書に目を通している。詰り、両者間には、語学に対する接し方にあまりもの大きな差があり過ぎる。

但し、これ等の国では、一般本屋さんは言うまでも無く日本で言うコンビニでも英語の原書が多く売られているという取り巻く社会環境が日本とは違うので、この職に就く者を限定して医師の専門分野における原書への挑戦心の無さを余りに攻めるのは不平等で酷ではあるが、、、。

更に一つ今大活躍の薬、今では何処の医療機関でも頻繁に無造作に処方を出している、抗生物質剤も元を正せばイギリスで発明されたペニシリンが起源であって、決して日本で発明された代物ではない。
「注:1929年 英国人アレクサンダー、フレミングにより抗生物質剤ペニシリンが発明される。後にノーベル賞を医学生理学部門で受賞」

三、
しかし此だけならば許せるが、そのくせ全然謙虚さがないのには、我々身近に接しざるを得ない罹患者には耐え切れない苦痛と成っている所だ。

大体日本の医学水準は、先進諸国に比べると50年は遅れている。総てが見よう見まねの域を脱しなくて、言わば先人の血と涙と汗の結晶の上に胡坐をかいて、「葬式饅頭旨かったそうだ」の立場を甘受している。言って見れば、今でも田舎にある糞瓶の中のウジの様な存在でしかない。この立場を全く忘れ切っている。

四、
忙しいとよく言うが、広い院内の廊下を散歩がてらに往来しているだけではないかと常々思うが違うだろうか?
詐欺師が医師になった様な不埓者も事実たまにいる。この様な医師から医療ミスの被害を蒙った患者は、罪悪感等微塵も無い人柄故に立証するのが難しく、時には泣き寝入りするしかなくなってくる。考えただけでもゾーツと身震いがする。

五、
何せこの街社会福祉医療王国には、医師同等の資質を有する、弁護士、弁理士、公認会計士、不動産鑑定士、等などの有力な有資格保持者は生計が成り立たないので殆ど在住していない。「医師は御山の大将我一人」と木に登り上がっている。従って否応無しに接触を余儀なくさせられている我々罹患者にとっては、越権行為、職権濫用が黙認されない様に、当局、関係筋、部外者の監視の目を一段と強くここに要求し、不可欠とする次第だ。


Now it is time to go to a general hospital near my house.
Please I end here this time.
I'll go on heading for my irreplacable future life, aimed at implanting schools with the 9 consistent years system again first of all on my native town and at next time all over country as many as possible, keeping in mind to do training and that slow but steady wins race.

Thank you very much and see you soon !
My most reliable Japanese fellows " the defeated group after war " prevailed in more than half Japanese people besides my indispensable and life mates " CNN " and " BBC " covering me every day and every night !

All rights reserved in Seiji Kozawa

No comments: