我が最愛の邦人「戦後の負け組」の皆さん!我が最愛の国際放送CNNの関係者全員の方々!
我が師と尊敬するBBCの関係者全員の方々!お元気ですか?すっかり温かくなり待望の春が到来しました。こんな快適な期に私は先週酷い風邪をひいてしまい、頭痛と痰に悩まされましたが殆ど完治しましたので、ご安心ください。しかし、未だ体調は完全ではなく、時々頭痛と痰に遭遇しています。
多くの国々が簡単に出来るからといって、我が国我が町が簡単に出来るとは到底いえない。高をくくると予想外の結果を招く。国連の分担金の19パーセントを支払いながら何の地位を得ていない日本国の立場も勘案する要がある。
お金は古今東西を問わず、「高潔な人徳がある優秀な人材も下に集まる」という諺があります。この街は孤立無援の立場にあり、人が集まっているのは決まって病院、医院だけという、言わば破れかぶれの公共団体へと成り下っています。換言すれば、市民はホリエモンや村上ファンドの株主となったと同然で値下がる一方で凋落の一途を下り降りる一方でお先真っ暗です。市政の最前線に立つ者の一群は、決まって無い物尽くしに象徴される堀元市長を筆頭に、揃って「赤ん坊とOOOOO,赤ん坊とOOOには勝てぬ」といわれるこの日本人にあって日本人にあらずの実体的な非国民に独占されている事態から、因果応報でしょう。「類は類を呼ぶ、birds of a feather flock together」という
有名な諺が如実に物語っています。
隣村には繁栄を極める一宮市があり、当市の傘下にあるものの、一宮高校経由者がこの非国民の一群に不当に排斥され続けているからの他の何物でもありません。この厚い壁を我々江南市民は一致団結して先ず打破しなければなりません。
第一
統一地方選挙期である4月到来は間近となってきた。 当市の市長立候補者は、現職の堀と現市議の江口によって争われる見込みである。どちらも所謂「村のおっさん」でしかなく、外部的に対他の市町村に膝を交えて協議参画したり、時には先導して又時には世界的又は日本的な教育界の大きなうねりの潮流に追随して行く事すら出来ない事ぐらいは、小学生でも分かる。
一、
両者共に永年この街にヒルの如くにへばり付き血税を吸い取ってきた類に入る所謂関西で言う「000」である。彼等の主張は何時も差別を受けていると言い続けるが、先に原因を造っているのは彼等の方であり、彼等自身の旧態依然とした体質と一昔前の古い思考方法に存する。
二、
詰り狭い閉鎖社会を勝手に造り上げて、外部から新しい血を導入しようしない一点に帰結される。具体的には、当市は隣接する偉大な一宮市の圏内にあらゆる面で位置するが、この実体を今なお排斥し続けてている。この一つの現れ、有り様が今時の市民疎外の実体の無い「市長選」である。
当市内には多くの一宮高校経由者が在住しているが、煙たがり敬遠して完全に排斥している。これでは一切発展という物がない。一宮高校は国公立大への進学を、市内の某私立校よりも高確率で毎年果たし続けている公立の学校である。又はそれ相応の実体ある国家資格等を習得しているのが殆どだ。
この高校の卒業者が、前記の某私立校卒業者と異なる最大点は、先祖代々この地に住み続けて来ているという意味に於いて当地の時代の申し子と断言出来る。
きっと外部からこの地に来られた方は、得てして資産とか身寄りが無いので、せめて我が子だけには高い学歴を身につけさせて、形だけでも良いので大學出という身繕いをさせようとされる余りに、なり振り構わない渡世に陥られることでしょう。
ともあれこの市は、この様な我々を完全に市政の主要最前線から排斥し片隅へと追いやっている。この憂慮すべき現状を逆転しない限りあらゆる面に於て、特に現場の学童、青年が日々悶え苦しんでいる実体を直視する時、当市には発展はない。
第二
敗戦により、GHQにより我が国は多くの物を失った。一つは、台湾、朝鮮半島、樺太に及んだ国土であったし、一つは、約300万人の命であったり、一つは、世界に誇る優れた中等教育への選抜で知られた653制の教育制度であった。これら全ての失ってしまった物の中でただ一つ日本国民の賛同さえ確保出来れば、奪還し再生出来る物がある。此が私が40年以上の歳月を費やし続けている「教育制度改革」である。9年制の小中一貫校の誕生は、徹頭徹尾小学区制によってのみ成し遂げられる。中学区制や大学区制は9年制校創設への天敵である。
私ごとであるが、生まれ育った所は愛知県の北端、岐阜県との県境で、日本的な河川の木曾川流域の直面地である。父は、直面地どころか木曽川の河川敷で生まれた。とかくこの世は、流転とか栄枯盛衰に付きまとわれる。この辺り一帯は、大自然がもたらす豊かな水量の恵みで水運業が発展し繁栄を極め続けていたが、伊勢湾沿岸地方への人口の流れの進捗に反比例して、水量は減少へと向かうにつれ、此に正比例して、大正時代には顕著に斜陽化して行った。
この様な境遇、一連の流れの中にあって、叔父(父の従兄弟)や父は私の幼少の頃から、「英語だけは一生懸命勉強しなさい」と教育し続けた。何れも英語とは縁が全く無い生業であった。こんな環境下にもろに生き続けた私であったので、今から回想すると、大学卒業と同時に英語圏の国へ留学すべきであったかもしれない。又は働き盛りの若かれし頃に本来は留学すべきであったかもしれない。しかし、次男の身上や老後のことを勘案すると社会保険のある企業への就業に拘泥して、どうしても留学に踏み込む事が出来なかった。
しかし、60歳前に早めに会社生活を切り上げて、一番価値がある生活様式に打ち込める事が出来たのは、大きな見落とすことが出来ない、「不幸中の幸い」であり、日々生活の中で、大きな生甲斐と自己責任感に感謝しつつ又痛感して居る。
この様な私の現在の生活様式は、2002年前後から始まったということは、小泉内閣前半から始まったと見てよい。
そんな中で、我が意とする93制教育制度への挑戦は、全国津々浦々で賛同を得つつ平行して小泉、安倍内閣の協賛を得て、この国の全土で結実しつつある。色とりどりの素晴らしい花が咲き乱れる時の到来は目前に迫って居る。
これは、飽くまでも小学区制によって実行されつつあるので、本物と看做してよい。既に東京では、品川区が区内の全小中校を9年制一貫校へ区議会で決議して改革実行中である。反面、戦後長年に亙って、公教育の代用を果たして来た私学の雄、「開成」の凋落と「日比谷」の蘇生再生は、目前に来ており、日の目を見るよりも明らかとなって来ており、既にとっくに早かれ遅かれ確実というただ時の問題になっている。
戦前中の永きに亙って、中学の御三家と言われ続けた「日比谷、旭丘、神戸」の総本山であった日比谷は2007年の大学合格成績で、目に見張る好成績を上げて居る。正に眠る獅子が目覚めるのは、時間の問題でしかない。いや目覚めつつあると見てよい。
小中一貫9年制学校を、正攻法である小学区制によって遂行するには、現実を直視しないととんでもない憂き目を見るであろう
一、
我がふるさと,江南市がこの日本国民の宿願である「教育ルネッサンス」に着手するには、なにはさて置き市政のフロントラインに就く人材を一新すること、倉庫に寝むったままで居る一宮高校経由者の登用による新しい血の導入、旧態依然とした「部落民体質の打破」、OOO代表の堀の市長の交替は避けて通れない一歩である。
先進諸国並に、この国にいや先ずこの街に、小中一貫9年制学校を、正攻法である小学区制によってのみ正々堂々と遂行するには、大きな抵抗もあることを予想して、之に備えての強力な援護が必須だからである。この国は世界の潮流から余りにも遠ざかっている現実を無視は出来ないからだ。決して、普通の国ではない現実を銘記しないととんでもないことになる。
二、
我がふるさと,江南市がこの日本国民の宿願である「教育ルネッサンス」に着手するには、なにはさて置き市政のフロントラインに就く人材を一新すること、倉庫に寝むったままで居る一宮高校経由者の登用による新しい血の導入、旧態依然とした「部落民体質の打破」、000代表の堀の市長の交替は一歩である。
分かりやすく具体例をここに上げる。現江南市長の堀元は某4流高校卒の貧弱極まる学歴を有するのみだけではなくて、何一つ公的乃至国家的な資格も有しなく、取り立てて就学時代にスポーツ、学業、クラブ活動分野で顕著な成績を残した形跡も全く有しなく、自身の先祖がこの地方に貢献した形跡も有しなく、例を上げれば際限がないことから「無い物尽しの訳の分からないグータラ人物」と断言できる。
当然に彼を守り立てている取り巻き、側近達も挙って全くの同人類である。対外的な影響力は、ゼロである。
もっと分かりやすく詳説すれば、当然演説を日本語で話しているが、国語力自体が良識ある市民よりもないのである。詰まり、基礎学力が無いのである。従って、当然にその他の地理、日本史、数学等も造詣は極めて貧弱そのものである。否皆無だ。
かつて関西で、落語家とか漫才師が話が上手である、場慣れしているという理由だけで、噺家が多く政界に進出していたが結局は基礎学力が欠如している為に、身を退かざるを得なくなったと堀元は同じである。
堀元江南市長の処世術は、素早くマイクを取り上げ、最後まで持ち続けて、無意味な話を滔々と語りかけ、以って民衆をマインドコントロールする。この他は何一つ無い。
第三
それではこんな取るに足らない「無い物尽しの人物」が、何故市議選に何度も悉く当選出来遂には市長の地位迄に昇り上げる事が出来たのか?答えはこれだ。いやこれだけだ。
堀元は、何時でも何処でも決まって、規模が大小を問わず民衆が集まる場に参加し臨むと、先ずマイクを素早く他人から取り上げて、手中にして此を最後まで他人に離さず、大声で滔々と内容の無い話しで以てしゃべりまくって、その場に居会せた民衆をマインドコントロールして、結果支配下に置き拘束するという手法である。堀元はこの他には何一つ他の民衆をコントロールする手法を持たないのだ。
尚、彼が民衆に問いかける話しの内容が常に薄いことは、指導者としての相応な教養、専門的政治一般の知識等などに造詣が微塵も無い身上から、明白でありこれ以上多言を要さない。
歴史は繰り返すと言うが、之までの江南市政の流れは一時期関西地方で大流行して直ぐに退廃して行った、噺家の政界進出劇と全く同じ現象である。
我が最愛のCNNの皆さん!師と仰ぐBBCの皆さん!永い間苦楽を共にしてきた我が同志の「戦後の負け組」の皆さん!俺は老体と言えども、行く手を阻む者にはあらゆる手段で払いのけて前進する覚悟に変わりは微塵も無い。不退転の決意だ。着実に花は開花しつつあります。
遅くてもいい、着実に前進しましょう!お互いに健康第一で頑張りましょうね!
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小澤成次
Friday, March 30, 2007
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