Sunday, April 02, 2006

教育制度は、前途ある就学者の学力向上への最大の手助けとなるべきである











この写真は、私がロシア、サンクトペテルブルグ、ボルシェヴィーキプロスペクトの一角に住んでいた
アパートのビルディングである。真ん前には、極一般的なありきたりの学校があり、11年制の世界最高の制度という実体を毎日目前にして暮らしていた。屋内で飼われていた犬の種類は、色々であったが、俺の大好きな圧倒的にシェパードが多かった。


国際社会で、日本人が、他国の人々から馬鹿にされたら、之は深刻な問題となり、早急に解決しなければならなくなる
善後策の筆頭に上がるのは、戦後のわが国の633制という3区分制の教育制度だ
人間は、動物の一種で誰かを悪者に仕立てたり軽蔑したりして、ある時には血なまぐさしい、戦に発展する。社会でも家庭内でも同様だ。お父さんが、子供や奥さんから馬鹿にされたり、逆にお母さんが、子供やご主人から馬鹿にされても、之は大した問題でない。毎日接触するからだ。
しかし、今や飛行機、パソコン、人工衛星の登場で、日常生活内で容易に他国の人々と交流せざるを得なくなった時代に突入した。その際、日本人の私達が、他国の人々から馬鹿にされたら、之は深刻な問題となり、早急に解決しなければならなくなる。
少なくとも、少しでも、馬鹿にされる度合いを、軽減すべく善後策を講じなければならない急務が発生する。

この筆頭に真っ先に上がるのが、戦後のわが国の教育制度だ。だってそうだろう。アメリカもカナダもオーストラリアも全欧州諸国も、国家的制度として、633制を採用している国は、前記先進諸国中に見るがごとくに、一国たりとも存しないからだ。教育制度は、前途ある若き就学者の学力向上への最大の機能を果たすべきは、今更多言を要さない。これらの若者は、今後益々国際社会の中で嫌でも生きなければならなくなるからだ。


今日も老体を鞭打って俺が頑張っているのは、「中央教育審議会のいう教育改革」が、断じて「教育改革に当たらない」からの他の何物でもない
文部科学省は、東京で「中央教育審議会」なるものを、立ち上げて、各界の著名人をかき集めて、決まって「教育改革」と銘打って、ここ数十年間の長きにわたり会議の開催を何百回何千回と多く、繰り返してきた。
体力も気力も年には勝てず、俺にも往年の俺ではなくなってきているので、この「会議なるもの」にけちをつけようなんて気は、さらさら無い。しかし、何故この老体を鞭打って、奮発しなければと、叫ばなければと、今日も頑張っているのは、「この会議なるもの」が、決して「教育改革に当たらない」からに他ならない。この他に理由は、何一つも無い。

「英語を小学校の何学年から習わせる」とか「一クラスを最大何人までに限定すべきか」とか「領土問題をどの程度まで教科書で記述すべきか」とか「どこの会社の教科書を又参考書を使わせたらよいのか」等など、、、、これらおっさん達は、これら何の教育改革とは関係の無いことを、「教育改革」としてでっち上げて胡坐をかいているからだ。こんな会議ならば、税金の無駄遣いで、即座に一切止めたほうが遥かに益しだからだ。詰まり、解散した方が益しだ。老人の寝言は、もう聞き飽きた。程々にして欲しい処だ。便々としたこの様な会議過程は、これこそ益々善良な国民までもが諸外国から馬鹿にされて行く悪因となっているだけだ。


如何にしたら「富士山型の厚みのある人材層の創造」に直結できるかを、考え皆で実行しよう
教育改革とは、戦前の様な、貴方達が好きなアメリカとか欧州諸国の様な、教育制度へ国家的、公立的規模で変えることのみを意味するのだ。何も同じでなくても、似ているだけで、それで十分なのだ。
詰まり、国民の税金で経営される、公立の教育機関で次世代に生きる子供、青少年を男女を問わずに広く育て上げることの一点に、焦点を絞ることだ。之こそが、俺がくどくどと何度も強調してやまない、「富士山型の厚みのある人材層の創造」に直結する。断崖絶壁の親知らずやリアス式の三陸海岸の形状の山では駄目だ。如何に例外的に少人数の天才がいても、取り巻きが凡才ならば、この団体は脆いものだ。富士山の頂上をどれだけ多く削り取っても、その総体的美観は、微塵も損なわれはしない。之が俺が言う、「厚い人材層」だ。もっと分かり易く詳説すれば、一流大学出身者がゴミで捨てるほど多く内蔵している、近くにある大口村の某トヨタ系企業の呈する存在の具現化が、一好例だ。


93制が日本国民には、最適と確信する
さて、二区分制への挑戦だ。戦後に雨上がりの竹の子の様にひしめき生まれた、既存の私学におんぶに抱っこの66制もよかろう。しかし、俺は、この国が生き抜く最適にして最強の選択は、93制、詰まり小中一貫校への挑戦だと確信している。何事も絵に描いた餅では駄目だからである。改革に臨み、簡単だし、無駄金が要らないし、遠い何時の日か、義務教育を8年として、84制というアメリカ型への選択肢、可能性が残されているからだ。


国際社会の波は、決して甘くなく非情であることを、一日も早く再認識しようではないか
俺は現役時代に、外国船からの物品を運ぶ港湾荷役の運搬やトヨタのフォークリフトのウエイト「錘」の運搬で、飛島村に住んでホイストクレーンを使いつつ、大型トラックに乗っていたし、この江南の町が移動式クレーンマンとして生活したい俺を用無しと追い出したのを、快く迎えてくれたのは、三河地方であった。詰まり、東海、刈谷、安城、高浜、西尾、岡崎、蒲郡等は当時の俺の庭であった。
縁は全く不思議なものである。
この老体となりしかも障害者となってしまった俺を、今となっても温かく支えてくれるのは、この愛知県内でもことの他これらの地ではないか。有難いことだ。即ち、政府の薦める「教育改革特別区」に積極的に名乗り出て、俺が主張してやまない、この小中一貫校改革に着手して頂いているのが、ことの他飛島村と西尾市ということだ。
俺はこの場を借りて、血気盛んな若さの余り当地の方々に、多々自分勝手のことをしたという軽率な蛮行や喧嘩をして、多大な迷惑をおかけしたことに、深く深くお詫びしたい。お許しして頂きたい。顧みるに、分けの分からない6年制の私学に便々と頼り、腐った女の様に一向に「改革特区」に名乗り出ない、生まれ故郷の江南市とは、其の点では雲泥の差だ。国際社会の波は、決して甘くないことを、非情であることを再認識して欲しい。

その後、関空工事が始まると、大阪へ移ったが、江南の家に年に一回程帰るには、名阪道で必ず奈良県を経由しなければならない。その奈良県や関空の近くの和歌山県も肝腎の「小中一貫校改革特区」の筆頭県として、俺が住んでいた寝屋川市同様に、積極果敢に邁進頂いていることに、何かの縁とか喜びを感じている。これらの御地の方々にも、時には多大な迷惑をおかけしたかもしれないが、この場を借りてこれまた其の点宜しくお許し願いたい。


俺は京都の方々には、筆舌に尽くし難い程の感謝と力強さを実感している
何といっても一番の強烈なスケットは、一時期鎌倉に政治の府を奪われたものの、日本史上永きに亘り、戦国時代の現愛知県勢が打倒したまで、延々と都として君臨してきた格調高い、伝統、教養、品位の街として名高い、古都京都である。宇治市始め多くがこの「小中一貫教育特区」に真剣に取り組み参画している。長い伝統は、脈々と生き続けるものだ。今尚、新興都市の横浜、名古屋、大阪、神戸等にない気高さが市民や街の隅々に鮮明に生き続けており、一つに京大詰まり京都学派は、日本の華であり続けている。身内の者に、大学は京大出の方が圧倒的に多いが、私自身も度々大阪時代に、河原町の紀伊国屋の洋書売り場へ出かけたし、夜の北新地から大喜びして名神に乗り多くの長距離お客さんを京都の各地へお送りした。思いで深い街並、品位ある人々である。それに俺が住んでいた町の忍ヶ丘駅から学研都市線で、徒然なるままに、ふらりと遊びに行ったこともある。第一に、俺とは大違いで、京都の方々は、言葉遣いが品がよい。街並みも落ち着き品がよい。きっと、長き世代に亘る無言の伝統のなせる技であろう。


其の外、東京、宮崎、鹿児島、広島呉、香川、石川等でも広く全国各地で、この「小中一貫校への挑戦」は、胎動が聞こえており、花が咲こうとしている最中だ。


あるアメリカ人のブロッガーであられる方は言った。
如何に優秀な理念も具現化せずしては、思考に浸り夢遊している、自己満足者に過ぎないと、、、。
正に其の通りだと俺は思う。

東京の一部自称見識者の集まりである、「大阪弁で言えば、イイカッコウシィーである」文部科学省の諮問機関である、俺に言わせれば出しゃばりのふざけた馬鹿者の集まりでしかない、中央教育審議会の言う教育改革は、完全なるエセ教育改革であり、税金泥棒であり、この「小澤成次」や良識ある全国津々浦々の国を愚弄するもので、少なくてもこの俺の前では、絶対に全く通用しないことを再度言明強調して、この辺で結びと致したい。

許可なくして、転載、引用等の一切の借用を禁ず 小澤成次

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