
This photo pasted above proves that I experience the most meaningful work in my own person and greatest common pleasures everytime I go and talk one another at the Board of Education in Kohnan city hall over a necessarily urgent standpoint for our Kohnan cityhall also to join " the special education system districts, aimed at 93 system " under the auspices of the Japanese Government as well as many cities, towns and villages all over Japan.
Maybe the photo was taken around April 12, appearing persons ; Mr. Tanaka. Mr. Buma and me in order from right to left.
Of course I solidly determine to continue doing my best until my hope will be carried out someday in close future, my hope which Kohnan city hall also joins the National Government Plan as for changing our public education system into 93 system - 9 consistent system among elementary schools and junior high schools - at a same building site one another.
Hello ! All involved in my favorite broadcasting station " CNN " and the most influential newspaper
" The New York Times " on the earth ! How are you ?
若い時期に良い習慣、技、体力、知識をつけよう
先日4月29日、私は地元の総合病院である昭和病院へ赴いた。
久々に納得のいく、心温まる対応を、点滴をした看護婦さんから受けて会心の満足を得た。本当に何ヶ月ぶりの満腔の敬意を思わず捧げたくなった。当看護婦さんは、日頃は入院患者さん達のお世話をする病棟勤務であると言う。日頃の成果が成せる自然の快挙であった。
「雀百まで踊り忘れず」という諺がある。若い頃に会得した技、知識は、何時何時までも年老いても心身が覚えていて、老いてもついつい自然に言動となった表れるという意味だ。
従って、何時までも人間は若くないので「若い時期に良い習慣をつけよう」という意味でもある。
私自身も宮田小学校、宮田中学校という幼年少年時代に、踊りや英語を身につけていたので、こうして自然と英語でのブログを書いたすることが出来る。足腰がどうにか間に合っていた大阪時代の晩年の55-60歳頃の壮年期になっても、20-30歳年下の者達よりも、遥かに踊りに力があって且つ正確であった。
話は変わるが、私が住むこの辺りや現昭和病院が建つ辺りは、戦前の昔は辺り一面桑畑であった。住民達は、所謂水呑み百姓、小作人と言われた貧農層であったが、桑関係の元締め的な職にあった者達だけは裕福であった。桑問屋、繭卸問屋、生糸問屋の従事者である。
従って、これらの家系の子息で学力優秀な男子は、決まって6年間の「古南小」を経て、旧制中学の「一宮中か小牧中か愛知一中」へ進学されて、しかる後は末は博士か大臣を目指して「八高」へ進学されたか、一に海兵、二に一高と言われていた、戦前の我が国において、何とか身を挺して我が国を守ろうとして、海軍兵学校へ進学された。相場は全く決まっていた。
現在は、2006年4月30日であるが、この狭い古知野の町にも後者の海兵卒の方々が今尚多々隠遁生存されている。
近年には、国民皆保険制度が徹底されて、之の傾向が良いか悪いのかは別問題にして、雨上がりの竹の子の様に、よそ者「県外生まれの者」がクリニックを開業して、この土地の名士、セレブリチィとなっている。
一方、敗戦を迎えて、これら海兵出の者達は、若き日の鬼才、抜群の学力を買われて社会で、多くは学校の先生に迎えられた。私の祖父の弟に当たる方が、鳥羽商船校に就かれたのと全く同じ立場だ。
若い時期に徹底的に習得した技、体力、知識は、後々までも自然と言動となって発揮できる
そこで皆が不思議に思うクエスションだ。詰まり、「何故教員資格免許を持たない者が教員に就業できたのか」である。アンスワーは、之だ。これらの方々の全ては、若き日に、例えば英語、数学、国語、化学、物理等などをすこぶる優秀に習得されていて、教員資格を持つ一般の現愛知教育大卒者達「前愛知一師、愛知学芸大」よりも、壮年老後になっても造詣が深かったからだ。
もっと分かりやすく説明すれば、昭和病院で薬剤師となっている者、市内の中学校で数学の先生になっている者よりも、薬剤師や教員免許を持っていない京大や名大の文、経済学部卒業者の方や岐大の土木科卒の現場監督の方が、遥かに問題の数学、物理、化学等に於いても又造詣が深いのと全く同じ関係だ。
どうか昭和病院の看護婦さん! 若いうちに脇目を振らずにこの途一筋に絞って、良い習慣、技、知識を身に着けてください
多岐多様に余分にわたりかけたので、この辺で本論へ帰ろう。
どうか昭和病院の看護婦さん、若い内に脇目を振らずこの途一筋、一本に絞って、良い習慣、技、知識を身につけてください。
看護婦さん本来の常識的な職務である「体力が衰え、不治の患者さん達の身の回りの面倒をみる技、体力を身につけてください」。
確かに人間は法の前では、皆平等だが、看護婦さんと国公立大を出て其の上、難解な資格を取って専門職に就いたり、商社、学校の先生、公務員になられた方々とは、決して実社会では平等に待遇されません。
私達障害者達は、そんな看護婦さん達には、誰よりも高い評価を個人的に捧げたい気持ちで一杯なのが、偽りのない心の底からの大きな叫びです
しかし私達こうした障害者となった全ての者達は、どんな一般的に高い社会的評価をされている女性達よりも、例えば100円玉が床に落ちたら拾ってくださる方、椅子から立ち上がる際に手を引っ張っていただける方、床掃除をして頂ける方、詰まりそんな技を若き日に自然に身につけてられてしまっている看護婦さんに、満腔の感謝を払い、且つ遥かに高い評価を個人的にしたい気持ちで一杯なのが本音です。偽りのない叫びです。
実際に、昨日4月29日に昭和病院で面倒をして下さった看護婦さんに遭遇するたびに、私達障害者達は、「よーし、俺が看護婦さんの足らざる社会的分野で、もっともっと頑張って、貢献し活躍して社会的評価を得て、今度は逆に俺が恩返しをしなあかんなー」とつくづくと痛感、実感します。
許可なくして、転載、引用等の一切の借用を禁ず
小澤成次
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